北摂・阪神の情報紙シティライフで連載中の地ヂカラ通信。地域の力を掘り起こすべく、まちおこし仕掛け人の「想い」に焦点をあててレポートしていきます。 あと、それと関係ないことも書いていきます。ラーメンとか。
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2011年07月29日

陸前高田市の取材②

陸前高田の取材②

陸前高田市は、市の約8割が壊滅状態となる、甚大な被害を受けています。
引き続き小野寺さんに案内をしていただきました。


避難所に指定されていた市民体育館
陸前高田市の取材②

避難所に指定されていたため、地震後に多くの方がここに避難。
しかし、ここも津波を被り80人以上の方が亡くなったそうです。


陸前高田市の取材②

陸前高田市の取材②

「父親が“津波が来たら
山へ逃げろ”と教えてくれたので、私は避難所ではなく山に逃げました。ここの
避難所の方にもその情報があれば・・・」と、小野寺さんは悔しさを噛みしめながら、
涙ながらに話してくれました


陸前高田市の取材②

僕らもこの時の話は忘れることができません。
亡くなられた方の、その時の苦しみや悲しみ、そして無念さを考えると涙を
こらえることができませんでした。
もし自分の子どもや親、知人がそうなったらと考えると・・・、他人ごとではありません。


『なんでそんな目にあわなぁアカンのやろ』。
自然の無情さ、残酷さを目の当たりにして、どうしようもない悲しみに
胸が張り裂けそうになりました。


陸前高田市の取材②
陸前高田市の取材②
こんな大きな岩も逆さになるぐらい、大きな津波がこの体育館を襲った。

この体育館は、全国太鼓フェスティバルの会場にもなっていました。
小野寺さんにとっては特に想い入れのあったこの場所。「いつかまたここで太鼓を叩きたい」と、
この津波に対して、悔しさをぶつけるように話してくれました。


さらに小野寺さんの自宅があった場所にも行きました。
「基礎の状態でしか残っていない土地はどうしたらいいんでしょうか・・・」。
僕らも想像もできない状態に、ただただ呼応するしかありませんでした。
本当にどうしたらいいのか、見当もつきません。
まだまだ問題は山積みで、この津波の被害は続いているのだと実感しました。


陸前高田市の取材②

そして、その自宅のすぐ近く、山のふもとに(海岸から約1km)ある、高田高校。
陸前高田市の取材②

ここも最上階の3階にも津波の爪痕がありました。
この地点でも15Mの津波が押し寄せていたことになる。
本当に考えられない大きな津波です。


 陸前高田市の取材③に続く











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