北摂・阪神の情報紙シティライフで連載中の地ヂカラ通信。地域の力を掘り起こすべく、まちおこし仕掛け人の「想い」に焦点をあててレポートしていきます。 あと、それと関係ないことも書いていきます。ラーメンとか。
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2011年09月26日

陸前高田市の取材④

陸前高田市の取材④

陸前高田市の取材③の続き

 2日目の朝、復興に向けて、新たなまちづくりに取り組む人がいると聞き、
小野寺さんの案内のもと陸前高田ドライビングスクールに行きました。
ここは陸前高田市でも高台にあるため、津波に被害は受けませんでした。

陸前高田市の取材④

受付のある事務所に入るとまず目に飛び込んだのは、復興に向けての販売グッズ。
売り上げを支援金にするためにTシャツとポロシャツが販売されていました。

陸前高田市の取材④

寄せ書きもや救援物資も待ち合いに置かれておりました。
聞くと、ここは救援物資を振り分けるために開放されていたそうです。

 さっそく田村社長とお話をさせていただきました。
田村社長は震災後、救援物資の受け入れ先にドライビングスクールを開放しました。
次々送られてくる物資の搬入や仕分けなどの作業をスタッフ総力でかかり、
同市の復興に一生懸命取り組まれていました。


 田村さんはこの震災について「自然が猛威をふるってくれた」という表現をされ、少し驚きました。
それは、僕はこの震災に対しポジティブな表現を、しかも被災地の方から発せられるとは
思っても見なかったからです。

 なぜ「ふるってくれた」になるのか?

 「人間は自然を押さえつけようとしていた。それは人間の思い上がり。
今回の震災では、自然を冒涜するなと叱られたような気がした。
もっと自然に畏敬の念をもち、共生をするべきなんです。それを教えてくれてんだと思います。」
しかし、それにしても犠牲が大きすぎる、と思った。

さらに田村さんは話し続けてくれました。

 「この陸前高田市で亡くなった方は2,000人以上。この方たちのために震災前のまちより、
さらにいいまちにしたいんです。この震災があったから、このまちはもっとよくなった。そう言われる
まちにしないと亡くなった方たちは浮かばれないと思うんです」。

ポジティブに受け入れるように心に言い聞かせ、そこから前進し、さらに発展していく。
そうすることが一番の供養であり、そしてそれが残された人たちの動く力になるんだと、教えられました。

この田村さんから、深い悲しみから立ちあがる、このまちの小さな鼓動を感じました。

 さらに、同市のまちづくりについて話しは続きました。
「陸前高田 千年未来構想会議」のことや、被災地跡に残る建物を遺跡とし、後世に自然の恐ろしさを
伝えるとともに、世界各国からの観光資源になればまちの発展になる、というようなことなど、
復興にむけて具体的なアイデアをたくさん聞かせていただきました。
参考に下記URLをご覧ください。
http://www.doyu.jp/topics/posts/article/20110810-091910


陸前高田市の取材④
左、氷上太鼓の小野寺さん。右、陸前高田ドライビングスクール社長、田村満さん。
二人ともオモロすぎですね!
いやー、明るい性格です。これが復興にチカラになるんだと実感しました。
取材しやすい雰囲気に、逆に気遣ってくれているようにも思いました。
話も本当に面白くて、魅力のある人だと思います。


 また田村さんは震災後間もなく、このドライビングスクール敷地内で朝市を開いたそうです。
仕事をすることで人はイキイキし、活気がうまれ、またコミュニケーションもとれる。
「アンタ生きてたの!って会話がよく聞こえてきましたよ」と田村さん。

 その朝市には翌朝行くことにしました。


陸前高田市の取材⑤に続く





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